樺太。
昨日のね。
「九人の乙女」のドラマ。。。
http://www.ntv.co.jp/kyu-otome/
なんとか、最後まで意識を保ちつつ。。。
眠らずに観ましたけどね。
しょーじき。。。
ワタシのツボではありませんでした。(-”-;)
なんかね。。。
ストーリーとゆーか。。。
お話の展開が、以前観た「さとうきび畑の唄」にそっくりで。
「新作だ!」と思って借りたレンタルDVDが。
実は、以前にも観たヤツだったときのよーな…みょーなガッカリ感。
まー、身近な街の景色をTV画面で見られるのは。
なんか、いーよーな気はしますけどね。
でも、あのドラマ観て。
「稚内にいってみよー」と思う人は…たぶん、いないでしょーな。
んで、まぁ。
ドラマ観ながら…ふと、思い出したことがありましてね。
劇中では。
樺太で亡くなった人や。。。
心に深い傷を負って帰国した人の話は出てましたけど。
日本に帰れなかった人も…じつは、いるんですよね-。
ロシア人と結婚してて、家庭をもってたり。
何らかの事情で、帰国の許可が下りなかったりして。。。
戦後も、樺太(サハリン)に取り残された人たち。
その後、「東西冷戦」の時代を迎え。。。
祖国・日本とは、帰国はおろか。
手紙のやりとりさえ、ままならなかった時代が…およそ、半世紀。
日本人であることさえ隠して、ひっそりと暮らしていたんだそーです。
今は。
稚内とサハリンとの。
定期航路も、復活したんで。
年に2度ほど、「サハリン残留邦人一時帰国」ってのがありまして。
こちらの家族の元へと帰ってきてますけどね。
あと、何人かは。
永住帰国を果たされた方も居ます。
ィヤね。
いまでこそ、年中行事のように。
みんな、笑顔で手を振りながら船から降りてきますけどね。
前から、こんな風じゃなかったんですよ。
もー、何年前のことでしょうか。
「ベルリンの壁崩壊」後、雪崩打つよーに東西冷戦が終わりを告げ。
「ソビエト連邦」が崩壊、「ロシア共和国」と変わった数年後。
よーやく、一時帰国が始まったんですけど。
第1回は、ユーラシア大陸のハバロフスクを経由して新潟空港へ。
第2回目から、チャーターされたフェリーで稚内港へと来るようになりました。
もちろん、そのときはワタシも取材へ。
今の局じゃなく、前の局でしたけど。
今回のドラマを製作した、その局は。。
当時、あまりこのニュースに熱心じゃなかったよーで。
記者の応援もなく、ワタシ一人での取材でした。(-”-;)
なんかねー。
ワタシなりに。。。
すんごぃショッキングな現場でしたよ。
帰国を果たした人、それを出迎える人。
帰国の世話をした「日ロ同胞交流協会」(名前あってたかな?)のメンバーや、協力を申し出た稚内市の職員やら。
ほか、各社の取材陣も。。。
フェリーターミナルの中に、数百人がごった返してるのに。
…会話は、一切聞こえないんですよ。
周りは全て、嗚咽の声だけ。
フェリーから降りた、帰国者は。
無言のまま、出迎えの家族の元に走り寄って。
抱き合ったまま、何も言わずにただ泣いてるんです。
そりゃね。
「ソ連時代」を顧みれば。
万に一つも、「帰国」なんて事は考えられなかっただろうし。
家族や友人と生き別れになったまま、かれこれ50年。
「再会」なんて、奇跡に近かったんですものね。
日本語も話せぬまま。
なかには、日本語を忘れて話せなくなった人もいるくらいです。
そんな現場でね。
相手が「言葉にもならない」状態だって…見て、わかるのに。
マイクつきだして「どんな気持ちですか?」って。
間抜けなインタビューをとる自分の姿。。。 (-”-;)
いま、思い出しても…顔が真っ赤になるくらい恥ずかし-ですの。
当時亡くなった方も、もちろん気の毒ですし。
そして、生き残った人も辛く長い半世紀を暮らしてきたわけです。
「戦争のせい」と、言ってしまえば…たしかに、そーなんでしょーけど。
そんな一言ではかたづけられない…長い時間だったんでしょーな。
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コメント
おひさです!
なんとねこさん来沖なんですね♪
娘と一緒に楽しみにまってますよ!
投稿: しげもん | 2008年8月27日 (水) 19時13分
そーなんですよー。
…また、お世話になりまする。m(__)m
那覇宿泊は、前半も後半も休みの前の日ですから。
オリオンビール、たっぷり飲みましょ-ぞ。(^¬^)
投稿: ねこ | 2008年8月27日 (水) 23時39分