映画の道こそ閉ざされましたが。
念願が叶いまして、なんとか映像メディアに携わる仕事には就くことは出来ました。
んで。
やってみると、これが意外と面白いんですね。
2時間の映画に較べて、ニュース一本の長さは40秒から…長い物で、3分前後。
その中で、いかに多くのことを伝えられるか。
難しいですよー。
でもね。
見た人から、「凄い場所だねー」とか「美味しそうだったねー」とか。
リアクションを頂いた時点で、全ての苦労が報われるわけです。
「やりー!」って感じで。
そーいってもらえるよーにね。いろんな、ノウハウを駆使するわけですが。
ゆーまでもないですが、そんなノウハウだって簡単にはマスターできないんです。
「駆け出し」の頃はね。いろいろと苦労いたしました。
この業界。誰も、手取り足取り教えてなんかくれないんですもの。
「技は見て盗め!」なんて。職人さん方はおっしゃいますが。
じつは、そんなキレイな話じゃございませんで。
現場でね。人に教えてる余裕なんてないんですよ。
カメラをまわしてるときって、バリバリに緊張してますから。
だってねぇ。自分の撮った画が電波にのってTVにでちゃうんですよ。
うまく撮れた画も、恥ずかしい画も。
しかもですね。報道とかドキュメンタリーってね。
撮り直しのきかない、「一発勝負」ですから。
一回撮り逃せば、もうそれで「おしまい」なんです。
よくね。「カメラを持てば、恐い物がなくなる」なんて方もいますがね。
イヤ、カメラ持ってたって恐いモンは恐いんですよ。
でも、緊張のあまり「恐い」感覚を忘れてしまうときはありますね。
取材が終わって、一息ついたときに。
あらためて思い出して「ぞーーーーーっ!」ってね。
さて。\(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コッチニオイトイテ
「ノウハウ」のことですね。
んじゃ、私はどーやって憶えたのかってゆーね。
そりゃぁ、もう大変でしたよ。
こっちは、地方駐在ですから。
本社と違って、いつもひとりで勤務するわけで。
「これ、どーやって撮るんですか?」なんて、きける相手もいないわけです。
まぁ、訊いたところで応えてはくれないでしょうがね。
本社の若手カメラマンなどは、映像編集担当者あたりから厳しい指導がはいるようです。
取材が終わって会社に戻り、「やれやれ」なんて一息ついてると編集さんから呼び出しくらいまして。
「おまえ、この画はなんでこー撮ったの?」って、訊かれるわけです。
その問いに答えられなかったりしたら、もー大変。
「意味のねー画、撮るんじゃねー!テープがもったいねーだろ!」みたいな。
または。「なんで、この画無いの?なんで、撮らなかったの?」って。
その恐怖を乗り越えて、一人前のカメラマンへと育っていくわけです。
(聞くところによると、最近はそうじゃないようですが。)
で。ひとりでどーするか。
編集さんの、ありがたいお言葉はほとんど頂けないわけですから。
(あまりに酷い画の時は、「怒りの電話」がかかってきましたけど。)
とにかく、なにをどー撮っていいのか。さっぱり解らないわけです。
それまで、カメラを使ったことはあると言っても。。。。
結婚式とか記録ビデオなんかと、ニュース映像なんて根本的に撮り方違いますし。
困ったときに、ふと思いつきまして。
田舎な稚内には、映像送信用のマイクロ回線が一本しかなかったんです。
えーっと、大量の電話回線を使って稚内と札幌を線で繋ぎ、テープのダビングをする装置なんですけど。
特に、民放4局は回線だけじゃなく再生機器も共用で使ってましたので。
他局の先輩方の撮った画を、横からのぞき見できたんですね。
それで、よーやく。
「このニュースには、これとこれとこの画が必要なんだ」ってのがわかってきまして。
「白鳥おじさんの話。」にも、チラリと登場いただきましたが。
F系の局の方です。今でもよく、現場をご一緒しますけど。
なんせ、その人の映像をみて撮り方憶えたわけですから。
いまだに、なんの示し合わせもなく「全く同じアングル・ズームサイズ」の映像が2~3カットは必ず出てきます。
勝手に盗んで、ごめんなさいねぇ~。m(_ _)mゴメン
あとは、そーですねぇ。
参考になりそうなモノは、貪るように見まくりましたねぇ。
カメラ(写真)雑誌なんて特に。。。(決して、写真週刊誌ではございません。)
映画や、ニュース以外のTV番組とか見てましても。
アングルとか、やたら気になりまして。人とは、違うとこ見てたよーです。
あとね。マンガなんかも結構参考になるんですよ。
無茶なアングルで、画面構成してたりしますから。
それと、飲み会の時も必死でした。
年に数回、旭川の所属プロダクションやら札幌の局やらに出張したときとか。
夜の部の「懇親会」で酔ったときの先輩方のお説教。
今となっちゃぁ、聞くのもイヤですが。
以前は、2次会だろーが3次会だろーが無理矢理でもついていって説教聞いてました。
だってねー。
普段は何も言ってくれない先輩たちが、酔った勢いで堰を切ったようーに、いろんな事言ってくれるんです。
きちょーな御意見ですから。
その一つ一つを、身にできるよー頑張ったんですが。
結果は…まぁ。。。イジイジ・・( ..)( __)イジイジ・・
まぁ、思い起こせば。
辛かったけど、楽しんでましたねぇー。
そう、東京でビンボーしながら映画目指したあの頃とおんなじ気分なんですよ。
そんで、気がつけば。
現場でももう、「若手」と呼ばれることもなくなり。
取材で組む、ほとんどの記者が年下になりまして。
「なんか、老けてきたなぁー」としみじみ思う、今日この頃です。
まだ、41歳(後厄)なんですけどね。
カメラだって…たいした進歩もないままに。。。(-”-;)
で。現状はといいますと。
人生での「第二期極貧時代」です。
局移籍前と違って、いま「一本幾ら」の請負業なんですね。
基本給は全くなし。
それが…思ったように稼げませんで。
住宅ローンと車のローン。年金・健保などなど、いろいろ支払ったあとは一年の2/3が赤字です。
恥ずかしながら、おかーさんの年金に泣きついて暮らす日々です。
食事も自分で賄ってますが。
一ヶ月のうち、一週間くらいは経済的理由から食事制限がはいります。
いつになったら、事態が打開できるやら。
でもねー。
結局は辞められないんですねー。…この仕事。
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