悪党。
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5月1日、市内に「ガラス工芸館」がオープンします。
北海道で「ガラス工芸」と云えば、なんつったって小樽。
それを、何を今更…稚内で「ガラス工芸」なんて。
ところが、このガラス工芸。なんと、「琉球ガラス」の会社が運営するそうな。
いいねー。さっそく「ぐい呑み」でも買って、泡盛のもーかねー。
ついでに、「沖縄居酒屋」でも併設してくれればいいのに。
それにしても、沖縄から来る職人さん。さみーだろーなー。(^-^;
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きょうは、写真撮りに行けませんでした。
m( _ _ )mゴメン。
まぁ、長らく白鳥シリーズ続いてましたし。
この辺で、そろそろ一段落にしときましょーか。
今度、また「これ見て!」って写真撮れたら、UPしますねー。
ホントは、「V字編隊飛行」とか「夕日・サンロードで逆光」とか撮りたかったんですけど。
…まぁ、撮れたらね。(^-^;
連休初日、土日あたりは天気良さそーなんですけども。
でも、土曜日は叔父さんのお葬式で上川町まで行かなきゃなんないし。
また、往復550kmの日帰り旅行かぁ。
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ストック画像がきょうで品切れです。
ど-しましょ。
あしたも、それほど天気良さそうじゃないし。
どーしてもですねぇ。
空が青くないと、撮る気しないし。
「鉛色の空。鉛色の海。砕け散る波。あぁ、演歌の花道。」な景色は、ハッキリ言って嫌いです。
…「海」でんがな。
イヤ、実は今。一つ悩んでることがございまして。
先日、クレジットカードの請求書が届きまして。それ見ながら、溜め息なんぞついてたときです。
請求書に同封されてた、「もっと買え」的なチラシに目がとまりまして。
「カード会員特典、ダイビングのライセンス取得3万円」。
通常5万円ですから、かなり安い。
前からとりたかったんですよねぇ、ダイビングのライセンス。
「カメラ持って、潜れたらいいなぁー」なんて、漠然と憧れておりまして。…いずれはね。
…でも。おさまらんのですよ。「3万円」では。
札幌のスクールに、稚内から通うわけですからね。
交通費やら宿泊費やらかかるわけですし。
講習も一回では終わらないでしょうしねぇ。
んなら、いっそ「沖縄旅行」に出かけて、むこうで短期集中型でとってしまおうかと。
4~5日滞在すれば、とれそうなんです。雑誌の広告とか見ると。
んんー、でもそうすると沖縄行ってから帰るまで、ダイビング以外なぁ~んにも出来ないんじゃないか?
なら、何回か札幌に通ってライセンスとって、沖縄行ったら講習抜きで潜るだけの方がよかないか?
…とまぁ、いろいろ思い倦ねているわけですが。
だいたい、どっちにしろ先立つモノはどーすんだ?
そーいえば、まもなく5月ですもの。車の税金の請求が来る頃ではございませぬか。他にも、市民税・道民税がボチボチでしょーか。
ま、還付申告で源泉徴収が全額戻った状態ですから。市民税・道民税も、そー高くないとは思うんですが。
どっちにしても、5月の支払いが全部終わってからの相談ですな。┐(’~`;)┌
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時々、日も差します。でも、雨も降ります。
なんて、忙しい天気でしょ。
まるで、秋の空。
おれの、春と夏をかえせー!
で。少しでも、写真の撮り足しに行こうかとも思いましたが。
今日はちょっと、バタバタしてまして。
午前中は、軽くひと仕事ありましたし。
夕方からは、記者会の送別会で出かけなければなりません。
おまけに、二次会幹事など仰せつかりまして。(ピンチヒッターですが。)
こーいった宴の席って、嫌いじゃないんですが。
行き帰りの交通費がバカになりませぬ。
地方都市じゃ、電車などの交通機関もなく。
バスは、8時過ぎると一時間に2~3本しか来ないし。
タクシー代は片道1500~1700円。
往復で3000円オーバーですよ。
帰り際にもう一軒寄れるくらいの出費です。(-”-;)
…きっとまた、帰りは歩きになりそうだなー。やおら、一時間。。。。。
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ねこの75%は純金で出来ています
ねこの13%はマイナスイオンで出来ています
ねこの8%はお菓子で出来ています
ねこの3%は理論で出来ています
ねこの1%は心の壁で出来ています
?????????????
純金75%とわ、なんとゴージャスな。
あとは、マイナスイオンにお菓子ですから。
随分と「癒し系」ですねぇ。
*****の73%はむなしさで出来ています
*****の17%はミスリルで出来ています
*****の4%は心の壁で出来ています
*****の3%は言葉で出来ています
*****の3%は野望で出来ています
…をいをい。。。
「むなしさ」かよ。(-"-;)
えぇ~、っつーわけで。
御自分の成分を知りたい方はこちらへ。
さて。
きょうは愛車のタイヤをスタッドレスから夏タイヤに交換。
腕がいでー。(∋_∈)
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久しぶりに、寝坊しましたわ。
8時起き。…しあわせ♪
これで、天気も良かったら云うことなしですねー。
白鳥おじさんの二代目が、「大沼白鳥まつり」のポスター作ってるってんでデジカメ画像のお裾分け持って大沼へ。
ここで公開してる画像のどれかが、ポスターの背景に採用予定だそうで。
やりぃ♪
きょう、見てて思ったんですけどね。
白鳥たちが、「公園の鹿」状態になってます。
お客さんがね。パン持って近づくと、一斉に取り囲んでくるんですよねぇ。
みんなコッペパンをちぎって与えるんですけど、目を離すと後ろ手に持った大きい方のパンに食いついてきます。
傍目に見てると笑えますけどね。それにしてもずーずーしいです。
「白鳥画像フライトバージョン」は、きょうで終わりです。
明日からは「団体さんバージョン」。
んじゃ、予告編として一枚。
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あ゛ー、もうたくさん。(-"-;)
今日はちょいとお疲れモードですねぇ。
隣町、豊富町で現代版「わらしべ長者」の取材中に、稚内市内まで戻って「刻ならぬ積雪」の取材をねじ込み。
おかげさまで、全国ニュースでの放送となったようですが。
取材終了後、再び豊富町~幌延町~天塩町と彼を追う。
聞くところによると、一昨日の放送で「激励の声」が多数寄せられているという。
幾らかでも、役に立ってたのね。
ありがたや、ありがたや。
しかしながら、出発直後に交換成立した「女性モノ・デニムのジャケット」から…まだ、次の交換は成立してないんだそうで。
だれか、何かと交換してやってください。
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おかげさまで、本日「千客万来」です。
いつもの、倍以上のアクセスがありますねー。
ホントにありがとーございます。m( _ _ )m
以前、「出会い系サイト」とみられる大量トラックバックがあって、しばらくトラックバック禁止にしてたんですけど。
ここのブログサービス「ココログ」の方で、なにやら新たな対策をしたようなんで試しに復活させてみたんですよ。
また、懲りない業者がこないだろーなーと冷や冷やしてたんですけども。
結果的に、有意義なところからトラックバックいただいたんで、ホントに感謝感謝です。
で。そのトラックバック先のブログでですね。
「鉛中毒」についての問題提起をされてるんですね。
イヤ、ホントに考えさせられます。
ちなみに、大沼での「鉛中毒」事件はもう7~8年も前になりますかねぇ。…ひょっとしたら、もっと前かも知れません。
ゴメンなさい、記憶が不確かで。。。
その後は、事例がありませんが。
当時見せてもらったレントゲン写真には、胃の部分に5mmくらいの白い丸い物が二つ。ハッキリと写ってました。
白鳥が鉛中毒にかかった原因ですがね。
その白鳥に、撃たれたような外傷は全く見られませんでした。
もちろん、白鳥は草食ですから。「鉛中毒の小鳥」を食べて、中毒になることもありません。
…それで?
考えられた原因として。湖沼の水底に沈んだ、流れ弾の鉛弾が小砂利と混ざってしまい、水底に沈んだエサを啄む白鳥があやまって食べてしまったのではないかと。
それもですね。
滞在期間の短い大沼で飲み込んだとは考えにくく、おそらく越冬地の本州のどこかの湖で鉛を飲み込み、大沼で発症したのではないかと。
どちらにしても、あの弱った白鳥の姿は見るに堪えませんでした。
その。鉛弾なんですが。まだ、使ってる人いるんですか?
えぇ~、http://ecology.sblo.jp/でも云われてるように、ちゃんとした規制ってゆーか…いまある法律にしても、キチンとした運用が必要でしょうねぇ。
「鉛の弾丸を使用したハンターが、検挙されました。」なんてニュース、聞いたことありませんしねぇ。(-"-;)
釣りを楽しむために、ブラックバスを放流した…なんて話を聞いたときも思いますけど。
自然を愛するはずの「アウトドア愛好者」が、こんな事しちゃいけません。
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写真を撮りに行くときは、「きょうはどんなシーンを撮ろう」とですね。
あらかじめテーマを決めるといいますか、イメージトレーニングをしてから行くんですね。
まぁ、それにこだわらず気楽に撮ることもありますが。
んで。きょうは「飛んでる」写真を中心に撮ってきました。
それがねぇ。意外と難しかったですねぇ。
カメラのオートフォーカス(自動焦点)が間に合わないんですよ。
…飛んでくる白鳥に対して。
結局、ピントを手動あわせで撮ったんですけどね。
これも、半分はカンですから。
カン…といえば聞こえが良いですが。
言い換えれば「当てずっぽう」てヤツです。(-”-;)
やっぱり、半分以上はピンぼけでした。┐(’~`;)┌
しょーがないやねぇ。
残ったマシなヤツだけUPしますだ。
これから数日。一緒に飛んだ気分になってくださいマシ。
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もちろん、素通りはいたしませぬ。
白鳥おじさん、きょうも元気で。5月4日・5日の「大沼白鳥まつり」の準備などとりかかっておりました。
去年は出来なかったんですよねぇ。
一年ぶりの復活「まつり」です。
まぁ、「まつり」っつーてもですね。町内会の「納涼ビアガーデン」みたいな、こぢんまりした物ですがね。なかなか、アットホームで。
きょうの大沼はですね。湖面の氷も、だいぶん融け進んできました。白鳥の数も、およそ3000羽。例年通り、20日頃にピークになりますかねぇ。
今朝は、9時まで全く目が覚めませんでした。
天気も悪かったですからねー。
日差しが寝床にはいらず、爆睡でしたわ。
なのに、なのに。
体がだるいんですよー。
こんな時間で、もうアタマがボーッとしてるし。
・・・・・・・・・・・・・つまり。寝過ぎですかねー。
あぁ、ところで。言い忘れましたが、「白鳥おじさん」情報です。
今月25日の午前10時から、NHK BSハイビジョンでドキュメンタリーが放送になるそうです。
結構、時間をかけた取材だったよーで。
受信環境が整った方は、是非御覧くださいませ。
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はじめての飛来から15年。大沼に訪れる白鳥は、4月のピーク時で3万羽にも達しようとしていた。
かつてのプレハブ小屋にかわり、フィンランド製のログハウスが市の予算で建てられ、観察施設として使われるようになった。
「大沼バードハウス」と名付けられたこの施設には、春秋だけではなく一夏通して観光ツアーのバスが訪れる。
白鳥がいなくても、敬直自身がすでに「観光名所」となってしまっている。笑い話を交えて、これまでの苦労を語る敬直の話に、観光客は聞き入り、満足げな顔をして帰って行く。
あの日、風呂の中で「白鳥を呼ぶ」と約束した子供たちも、その後三男も生まれ、長男や次男は大人の仲間入りをし、自立の道を探り始めた。
長男は、札幌の調理専門学校へ。中華を専門とする料理人となって稚内へと帰ってきた。今では、市内で一番大きい全国チェーンの高級ホテルのレストランで働いている。
そして次男。高校卒業を控えた彼は、父にある思いを伝えた。
「おれも『白鳥おじさん』になる。」
…「二代目」宣言である。
そのことについては、敬直自身はあまり詳しくは語らないが。
おそらく彼のことだから。その夜は、泣いたに違いない。
その春からは、大沼には親子二人でエサのエン麦を撒く敬直の姿があった。
そしてそこに多くの人が訪れる。観光客だけでなく、市内の親子連れも多い。親子で楽しそうに白鳥にパンを投げている。
「この子たちなら、親を金属バットで殴ることもあるまい。」
いろいろ批判が多かったのも事実だ。
野生の渡り鳥をむやみに餌付けして、環境への影響はないのか。
大量の白鳥の糞が、大沼から声問川を伝って海に流れ出したら、特産品の昆布を汚すことはないのか。
敬直が大沼を私物化しているんじゃないのか。
いろいろなバッシングも浴びせられもした。
誰も見向きもせず、訪れる人もなかった大沼が、市民にとっても大切な宝物となり、公園として保護されるようにもなった。
「ホントにやってよかった。」
ながらく、「白鳥おじさんの話。」におつきあいいただき、ありがとうございました。本人に無断で書きつづったこのお話(バレたら、怒るかな?)、そろそろネタが尽きましたのでここいら辺で一段落しようと思います。
…細かいエピソードは、もっとたくさんあるはずなんですが。
…私自身が思い出せませんで。(^-^;
んんー、でも白鳥のシーズンはこれからが本番なんですけどね。
そんなんで、写真の方はまだ当分「白鳥シリーズ」で継続したいと思います。
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白鳥が来るようになってからというもの、鳥に関わることはなんでも敬直に電話がかかってくる。
「親鳥とはぐれた鴨のヒナがいる」とか。
「見たこと無い鳥が飛んできた」とか。
敬直にしたって、もともと鳥に詳しいわけではない。
大沼の様子を見るときでさえ、図鑑は手放せないありさまだ。
そんな敬直の元に、また「見慣れぬ鳥情報」が舞い込んできた。
耳を疑った。
「ツル?」
稚内市の中心部を挟んで、大沼とは反対側の西側の海岸に「稚内温泉」がある。
その温泉の近くに、タンチョウヅルがいるというのだ。
タンチョウは、かつては日本各地で見られたというが、今では絶滅危惧種とまでいわれ、道東の釧路湿原に僅かに残るだけである。
近年、手厚い保護活動によって、ようやくその数は増加する傾向にあるのだが。
タンチョウはその個体ごとにある程度のテリトリーを持っているといわれる。
つまり、数が増えてくると釧路湿原だけではテリトリーが不足しつつあるという。
巣立った若鳥たちは、テリトリーを求めて各地に拡散する傾向にあるという。
それにしても、稚内までとは遠すぎる。
敬直はあわてて双眼鏡と図鑑を手に、稚内温泉へと急いだ。
草むらでスッと立つ、凛々しい姿は間違いなくタンチョウヅルだ。体型も他の鳥とは間違えようがないほど大きい。
釧路のツル公園に電話したところ、「それはまだ若い幼鳥だからだろう」とのことだった。
「ホントに来てるんだ…。」
目の前の現実に、敬直にはある欲が湧いた。
「大沼に呼ぼう。」
大沼にも、エサとなる小魚はいる。白鳥のようにエサを撒く必要もない。
さっそく、敬直はまた発泡スチロールでタンチョウヅルのデコイを作って大沼の水辺に設置した。
釧路まで出かけて、ツルのことについて勉強もした。
だが。
もともと、テリトリーを求めて来たタンチョウヅルにとって、「先客がいる」事は望ましいことだったろうか。
また、タンチョウヅルは渡り鳥ではないので、一年を通じてエサを取れる場所が無くては生きていけない。
この大沼は、冬になると完全に結氷してしまうのだ。
もっとも大沼の上空まで来たのかどうかも解らないが、残念ながらこの計画はうまくいかなかった。
その後、タンチョウヅルは稚内市にその北端を接する「利尻・礼文・サロベツ国立公園」のサロベツ湿原に営巣が確認された。
なんと、このタンチョウヅルは一羽ではなく「つがい」で来ていたようだ。
しかし、敬直にとっては痛恨の敗北だった。
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狩猟に使われる散弾銃の弾丸が鉛でできていて、それを砂利と一緒に飲み込んだ水鳥が鉛中毒にかかって死んでいる。
それも一ヵ所の話ではなく、各地の湖沼で相次いでいる。
「大沼からは、鉛中毒が出ませんように。」
祈るしかなかった。
大沼でも、かつてはカモ撃ちが行われていた。
白鳥が来るようになってからは、敬直が地元の猟友会に頼み込んで、大沼での猟をやめてもらっていた。
ここ数年は、鉛の弾は無くなってるはずだが。
一羽の白鳥の様子がおかしい。
元気がなく、人が近づいても逃げようとしない。
「…まさか。」
敬直はその白鳥を捕まえて自宅に運んだ。
自宅の隣にある漁業の作業場の隅に寝床を作って、そこに休ませた。
しかし、エサすら食べられない様子でグッタリしている。
大沼で知り合った医者に電話をした。診療時間の終了後に白鳥を病院に連れて行った。
…人間の病院に。
「おれも、人間以外のレントゲンを撮るのは初めてだ。」
医者も呆れながらも敬直につき合う。
「やはり…。」
レントゲンには一目でそれと見て解る白い点が二つ、写っていた。
「いや、無いんだ。とりあえず、これをあげるから。体力が回復するのを待つんだ。」
医者は、点滴用のブドウ糖溶液を渡してくれた。
数日、それを飲ませて様子を見ていたが。
やはり、白鳥は元気を取り戻すこともなく、やがて目を開かなくなった。
その夜、敬直は泣いた。一緒に順子も泣いていた。
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ゴールデンウィークが明けて、5月も中旬にさしかかると、白鳥たちは一羽残らずシベリアに向かって旅立つ。
10月に再び戻ってくるまでの間、大沼は静かに夏を迎える。
その間は、アオサギ・シロサギといった水鳥が岸辺の葦原で小魚などを啄む。
大沼に残る白鳥も残り僅かになり、日差しも強くなり始めたある日。敬直の目に見慣れぬ鳥が映った。
一見、シロサギのようにも見えるが、あきらかに一回り大きい。翼の端も黒い。飛ぶときにも、サギは長い首を折りたたむようにして飛ぶが、その鳥は白鳥のようにクビをピンとのばして飛ぶ。
「ひょっとして…ツルか?」
双眼鏡を覗きながら、敬直は興奮してきた。
急いで小学校に連絡を入れ、庄崎先生に来てもらった。
庄崎先生も図鑑を手に、大急ぎで沼に駆けつけた。
調べてみると、それはツルではなくコウノトリと解った。
かつては日本各地で見られた鳥だが、絶滅種のトキ同様、今では滅多なことでお目にかかることは出来ない。
しかし、時々中国大陸での渡りの途中にコースを逸れ、日本国内に迷い込む物もいるらしい。
どうやら、今回もそのクチのようだ。
コウノトリは約一ヶ月で姿を消したが、敬直はこの上ない幸せを感じた。
白鳥が来るようになっただけでも、奇跡なのに。
とうとう、コウノトリまで…。
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春と秋。季節を迎えるごとに、飛来する白鳥がどんどん増えてゆく。
それに伴って、大沼を訪れる人も多くなっていく。
天性の陽気さと人なつこさをもつ敬直にとって、この上ない幸せである。
とくに子供たちが来てくれるのは、たまらなく嬉しい。
ときどき、小学校や幼稚園の子供たちが校外授業のような形で、集団で来てくれた。子供たちが書いた作文のプレゼントは未だに大切な宝物だ。
ある日の午後。
初老の女の人が、車から降りて岸辺へと歩いていった。
そこまでは見慣れた風景だったが…。
それと同時に、白鳥たちが怯えたように一斉に水辺から離れていった。
「なんだ?」
よく見ると、その女性は腕に犬を抱いている。
敬直はあわてて駆け寄った。
「悪いんだけど、犬は連れてこないでくれ。」
「だいじょうぶよ。ウチの子はおとなしいから。」
「いや、そうじゃなくて。白鳥が怖がるから。」
「だいじょうぶよ。」
会話は全くかみ合わなかった。
しばらくの押し問答の後、女性は不服そうに帰って行った。
大沼の風景が、いつもと違っていた。
白鳥たちが全て対岸に行ってしまっている。
いつものように、「こーい、こーい。」と声をかけながらエサを撒いても、戻る気配はいっこうにない。
「どうしちまったんだ?」
不思議に思いながら、岸に戻るとそこに意外な物を見つけてしまった。
花火の燃えかす。中にはロケット花火や爆竹もある。
その後、白鳥が沼のこちら側に戻ってくるのに3日を要した。
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すべての公務員が嫌いというわけではない。市役所の中にも、いいヤツはちゃんといるのだ。
現に敬直の兄もまた市役所で働いている。それゆえに、公務員が簡単な仕事ではないということは敬直にもうすうす解ってはいた。
公務員というのは、両極端なしごとである。仕事をしないナマケモノでもやっていけるし、でもちゃんとやろうとするととてつもなく大変な仕事だ。
ナマケモノでもやっていけるのは、公務員法でその身分が保障されていて、よほどの不祥事でも起こして懲戒免職にでもならない限りはクビになることはない。しかも、どんなに不景気でも「職場が倒産」なんて事もない。
その一方、やる気のある職員に対してこれほど動きづらい職場はない。先に書いた、手続きの煩わしさもそうだし、やっていいこと・ダメなことは法律・条令・前例などで塗り固められ、「良かれ」と思うことでも簡単に着手すらできない。
それでも、「仕事をしよう」という者は、法律でも条令でも、解釈を変え、条令の隙間を見つけて何とか解決の糸口を探そうとする。
定められた「決まり」に対して、高いハードルを越えようとする者。または、「触れまい」とする者。
役所の中には、その二種類の職員が混在している。
敬直にとって幸運だったのは、高いハードルに果敢に挑もうという職員が観光課にいたことだ。彼らのおかげで、春の飛来シーズンには間に合わなかったが、その後市からエサ代に補助金が出ることが決まった。
役所の仕事には、民間には理解しがたいルールがある。いかなる事であっても、伝票や起案書を作成し、課長・部長、モノによっては助役や首長の印鑑を書類にもらってそれでようやく実行可能になる。
また、それは議会からの追求をかわせるだけの正当な理由を伴ってなければいけない。
極端な喩えをすれば、ボールペン一本買うにしても「これこれの事業に対して、どれそれの事務作業が必要となるので、そのための必要経費としてボールペンの購入を認めてもらいたい」という書類を作り、自分の部署の課長・部長のハンコをもらい、さらに物品購入に携わる担当部署の課長・部長のハンコをもらい、さらに出入り業者数社に入札を行って、一番安いところを選んでようやくボールペンを買うことが出来る。そして、その年度末に議会で決算の承認を得るわけだが、「なぜボールペンを買わなきゃならなかったのか。今まであるボールペンで代用できなかったのか。」という追求を受けることになる。それを「代用すべきボールペンは、すでに全て使い道が決まっており、どうしても新たにボールペンを買わなければ業務の遂行は不可能でした。」といった具合に、理由をあらかじめ用意しておかなければならない。
そんな道理は、一般の民間人にはまず理解は出来ない。敬直でも然りである。
というか、敬直にとっては人一倍理解できない。
二年、三年と経つうちに飛来する白鳥は倍に倍にと増えていった。既に、1000羽を超えている。
そうなると、エサに撒くエン麦の購入資金は年に200万を超えていた。
さすがに、敬直の自腹だけではどうしようもなくなってきた。
「市民もいっぱい来るようになった。観光客も来る。街の役にたってるんだから、市役所にも少し費用をみてもらえないだろうか。」
藁にもすがる思いだった。
だが、市役所のどこに行ったらいいか解らない。
とりあえず、一番偉い人に頼んでみよう。
敬直は市長を訪ねた。
数々のマスコミに取り上げられ、街の有名人となっていた敬直の訪問に市長は快く会ってくれた。
「よく頑張ってくれた。」と、今までの労をねぎらってくれもした。
「これはいける。」そう思った敬直は思いきってエサ代の件を頼んでみた。
「そうか。それは何とかしよう。」
会談の場に、観光課長が呼ばれた。観光課長にしてみれば、突然の呼び出しである。しかも、職場のトップである市長から。
「一体、なんの件だろう。なにか、問題でも起こしてしまったんだろうか。」
呼ばれた…それだけでも、心臓ドキドキである。で、話を聞いてみると藪から棒に「エサ代をくれ」といった話だ。
課長は不機嫌になった。そんな頼みなら、担当者である自分にまず相談すりゃいいじゃないか。(相談したところで、それが叶ったかどうかは疑問だが。)それを頭ごなしに市長からのトップダウンだ。
おまけに、つい何日か前に新年度の予算がスタートしたばかりである。苦労して、ようやく組んで通した予算に「白鳥のエサ代」など含まれてない。それを今になって予算を割くなど出来る話じゃないじゃないか。
「自分が好きで呼んだんだから、エサ代くらい自分でなんとかすりゃ良いだろうに。」
そんな気持ちも、頭の中のどこかを過ぎったのかも知れない。
「市長の意向だし、何とかするから。ちょっと時間をくれ。」
そういわれて、敬直はいったん帰ったのだが。しかし、その返事は一週間経っても十日経っても帰ってこない。再び課長のもとを訪ねた。
「いろいろと手続きがあるんだ。もうちょっと待ってくれ。」
「なんだと!」
敬直の理屈は単刀直入である。腹を空かした白鳥が目の前にいる。エサを買うには、金がいる。
「もう4月も半ば過ぎてんだ。そんな呑気してたら白鳥がいなくなっちまうだろうが!」
敬直の「役所嫌い」はこのときから始まったのかも知れない。
自分が子供の頃でさえ、小学校の終業時間がこれほど待ち遠しいことはなかった。学校から帰る子供たちを持ちきれずに、車で学校まで迎えに行った。
学校から大沼へ。
もちろん、デコイ作りを手伝った庄崎先生も強引に連れ出した。
大沼に着いて、最初に歓声を上げたのは子供たちではなく庄崎先生だった。
その日の夜の、息子と一緒に入った風呂も、順子がいつも以上に気合いを入れて作った夕食も、いつになく盛り上がった。
結局、その春に大沼に舞い降りた白鳥は23羽。パンは食べてはくれなかった。
その秋、シベリアから戻ってきた白鳥は倍に増えていた。しかも、白鳥に混ざって暗めの灰色をしたピンク色のクチバシの鳥もいる。姿格好は間違いなく白鳥なのだが。
「新種の鳥か?」
敬直は、浜頓別の山内に電話をして聞いた。
「そりゃ、幼鳥だよ。今年の夏、シベリアで生まれたヤツだ。」
敬直は小躍りした。春に来た白鳥が、子供を連れて戻ってきたのだ。
自分がここに白鳥を呼んだのも、子供との約束が始まりだった。子供に寄り添う親鳥の姿に、共感を覚えながら「良く戻ってくれたなぁ。子供たちまで連れて。良い子だ。」と声をかけた。呟くのではなく、ハッキリとした声で。
白鳥の間にも、「口コミ」という物はあるのだろうか。
翌年の春は、100羽を超えた。
そこまで数が増えると、好奇心旺盛な若鳥も混ざってくる。岸辺に近づき、人の投げたパンのかけらを啄む。一羽が食べて、大丈夫だと判ると次々とパンをねだりに白鳥たちが岸辺に近づいてきた。
大沼を訪れる人も、増えてきた。地元紙を読んだ市民。息子の同級生。タクシーの運転手に「穴場」と案内された観光客。訪れる人が暖を取れるよう、プレハブ小屋を借りた。すると、一層訪れる人が増えた。
敬直は、人に会うたびに笑顔で語りかけた。これまでの苦労話を話して聞かせた。それもケタケタとよく笑いながら。
「よくやったなぁ。」
そこにはもう、嘲るような目でみる者はいなかった。尊敬の念を込め心からねぎらってくれた。敬直はその度に笑顔で応えた。
次々とやってくる、マスコミの取材記者とも顔なじみになった。
地元の新聞社、北海道内紙、ローカルのテレビ局。
そのテレビ局の取材で、毎日の様に通ってくるカメラマンが二人いた。
一人はF系列の50代のカメラマン。この人は、敬直がエサを撒きに大沼にやってくる遙か前、夜明け前後から大沼でカメラを構え、夕方まで粘る。
もう一人。20代後半のN系列の若いカメラマンだが、コイツはどうしようもなく間が悪い。「白鳥が飛んでいるシーンを撮りたい。」といって、一日に何度もやってくる。しかし、この男がいる間は白鳥たちは示し合わせたように飛ぶのをやめる。一時間待とうが、二時間待とうが、全く一羽も飛ばないのだ。
「おまえ、鳥に嫌われてるよ。」
笑いながら、話しかけた。その男も、困ったような笑顔で応えた。
それから17年。その「鳥に嫌われた男」は、インターネットを憶え、いま流行の「ブログ」を書くようになり、敬直の話を語るようになる。
その話が、北海道内の新聞やローカルニュースで伝えられるようになると、全国紙やTVのキー局の番組も取材に訪れるようになった。
その一つが、高視聴率を誇った「ニュースステーション」である。
取材スタッフは二週間近くも取材に時間をかけた。
そのときにレポーターとして大沼に来たのが作家 立松和平氏だ。この朴訥とした語り口調が人気の作家と、敬直は夜通し語り明かした。初めてあったとは思えないほど意気投合し、それ以来立松氏から「友」と呼ばれるようになった。
今でもその親交は続いている。年に一度は、道東の知床岬にある立松氏の別荘に、立松氏を訪ねて出かけることは欠かさない。
仲間の漁師に冷やかされた。
大沼に白鳥を呼ぶ。その途方もない大ボラは、地元新聞の記事になったこともあり仲間の間でも評判になっていた。
出来るわけ無い。いつまでそんなバカなことを続けるんだ。
そんな、嘲りの言葉さえ囁かれていた。
敬直も、それを知らなかった訳ではない。だが、そんなことに耳を貸しているヒマはない。
廃車になった軽自動車。街頭宣伝などに使われるエンドレステープ(輪になったテープが内蔵されたカセットテープ。無限再生ができる。)。学校の校庭などに使われるラッパ型の防水スピーカー。そして、小型の自家用発電機。まさに、選挙活動でも始めるかのような道具だ。
これらを大沼に運んで、浜頓別で録音してきた白鳥の声を流した。
この声さえ、白鳥たちに届いてくれれば…。
6個のデコイも湖面に浮かんでいる。
エサのエン麦も、たくさん撒いた。
出来ることは、すべてやった。
あとは祈るだけだった。
毎朝、5時に大沼を訪れてはエサを撒き、デコイを浮かべてテープを流す。
冷え込んだ朝には、湖面が凍ることもある。その氷を割るために、除雪用のブルトーザーも買った。そのブルトーザーが沼の深みにはまり動けなくなったこともある。妻の順子に、内緒で買ったブルトーザーだったが、それでバレて雷が落ちた。
そんなことを続けるうち、すでに数日が経っていた。そして昭和63年4月のある日。いつものように、大沼に来た敬直の目に大沼の中央部に浮かぶ白い物が見えた。
「デコイが流されたかな。」
そう思って、水辺まで行ってみると6個のデコイはちゃんとここにある。
「?」
目をこらしてよーく見てみると、その白い物は動いている。その数16。テープの音以外の鳴き声も聞こえる。
「き、来た!」
頭の中は、白鳥の羽根以上に真っ白になった。
「あ、あ、白鳥が…降りた!」
敬直は、あわてて乗ってきた軽トラックに飛び乗り、家へ家族を呼びに戻った。
「あ、パンだ!パン買ってくべ!」
浜頓別での光景を思い出した。観光客は、湖岸の売店でエサ用のパンを買い、小さくちぎって白鳥に与えていた。
せっかく大沼に来てくれたんだ。とびっきりのパンをごちそうしたい。
子供はまだ学校から帰ってきてなかったが、とりあえず妻の順子だけ軽トラに乗せて大沼に向かう。
大沼に着くと、16羽の白鳥はまだ沼の中央部に浮いていた。
「おい、パンやるべ。」
買ってきた食パンを、ちぎって投げてみる。
しかし、沼の中央部までは1km近くもある。届くはずもない。白鳥の方も、初めて降りた慣れない場所である。そう簡単に警戒心は解かない。近づいてきてはくれなかったが。
しかし、紛れもなく白鳥がこの大沼にいる。それだけで、十分だった。息子との約束も、とうとう果たせたのだ。
敬直は、大事なことを一つ忘れていた。
「自分は涙もろい。」
思い出したとたん、累々と流れ出す涙を止めることが出来なくなった。
敬直37歳。男泣きした。
ふと横を見ると、順子も泣いていた。
あれほど、反対していた順子が泣いていた。
実際、かなり後退してまして。オホーツク海沿岸各地でも、すでに「海明け」が発表されてましたからね。
でもですね。一昨日の猛吹雪の時にですね。強烈な「やませ」(北東の風)が吹いたんですね。
んで。一気にきました。隣村の猿払村に。
本隊からはぐれた「砕け氷」の一群のようです。
だから、氷はホントの流氷よりかなり小さいです。
大きい物でも、1.5m~2mってとこですかね。
動きも速くてですね。
たぶん、明日の朝にはもう姿はないのではないかと。
突然、猿払村まで行くことになったのでお疲れです。
きょうは「白鳥おじさんの話。」はお休みします。
そんな人、いないと思いますが。
楽しみにしてた方、ごめんなさい。
明日はまじめにアップしますので。
m( _ _ )m
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